(2017/10/09 06:39:58)
今日はそんなに寒くなかった。
秋。autumnだけではなくfallとも言うことを今日教えてもらった。広辞苑を眺めるより人と話したほうが幾分か記憶に残り易い。wikipediaを閉じて誰かと話したほうが有意義な時間の使い方なのなもしれない。そう思いながら黙々とネットサーフィンをする。
空になったペットボトル。偏頭痛が眠れそうな夜を殺して、iPhoneの中で具現化する。嫌なことをぜんぶ詰め込んだような痛みが日に日に暴力的になっていく。鎮痛剤しか優しくしてくれないけど、今日も職場に笑顔で出勤した。
もう、ギターの弦を張り替えるような、僅かな隙間でしか会話を出来ない。そう思うと無性に悲しい。だけど、泣きながら眠るような儚さはなく、ただのんべんだらりと日々が横たわっている。
漠然と流れ作業をこなす。精神が鈍くなるのを待っていても、痛みは鋭くなるばかりだ。
人生は悲劇でも喜劇でもない。劇的なことは何もなく、ドラマを待っていたらいつの間にか夜になっていた。
チャップリンが喜劇王なら悲劇王は誰だろう。平民は平民のまま死んでいく。奴隷が歯車をまわしている。世界は停止した無声映画で、耳をすませても映写機のまわる音さえ聞こえない。
みんな俺がいなくなった空白を簡単に埋める。最初から俺は誰かの代替品だった。失ったものを数える。代わりに用意された席に無感動で座る。
何人目なんだろう。俺は。お前は。何回繰り返すんだろう。原型の欠片。補償行為。求めていたものを、少しでも持ち合わせていたなら、よかった。別にどうでもいいけど。
「初恋が叶わなかったあの日に死ぬべきだった」
それは、ずるくて、あまりにも綺麗な言葉で。いろんなことが思い出に変わってく。それがいいことなのかは、まだわからない。
いつかここではないどこかに行くとき、なにを持って、なにを置いていこう。何度もむかしのじぶんの日記を読み返して、だいじにしてるものを数えよう。
荷物は少ないほうがいい。祖母は手に持ちきれるものだけを愛して、ゆっくり暮らしていた。そうなれるだろうか。鏡の前のじぶんに、その血は少しも流れていないように見える。それならそれでいい。じぶんなりの歩幅をゆっくり探そう。