まいにちたのしい日記

always たのしい

(2017/09/29 04:02:16)

メインのブログでは多くの人に俺という個人を認識されていて、書きづらいことも多々あるので、隔離病棟的な立ち位置としてブログを開設した。そんな言いづらいことなら我慢して誰にも話さなきゃいいのに、それでもどこかに発信したいのは病気なのかもしれない。病気なんだとしたらはやく治りたい。治療法を教えて欲しい。

なんとなく秋を迎え、過ごしやすい気温が増えてきた。ただ寒いほうが精神的に駄目になりやすい気がする。体質か。

漠然とどこか遠くに行きたいと思う。俺は今の自分を取り巻く環境が死ぬほど嫌いだから、ひたすらに逃げたい。逃避は後ろ向きな感情だろうか。何も考えず日々を受け入れるよりずっと前向きな気がする。

転々と定住せずふらふら生きていて、嫌いなものや人をいたずらに増やして、この先にどこに辿り着くのか検討がつかない。

ここ数週間、現状を打破すべく能動的に振る舞ってきたけど、とても疲れた。意見や意思を発現していくのは多くのエネルギーを消費する。消費したしっぺ返しは必ずあって、ふとした瞬間精神が急速に死ぬ。

情緒が壊れて感受性が研ぎ澄まされて、自分が薄っぺらな板にプレスされるような、次元が壊れてくような奇妙な感覚になる。この感覚は誰かに共感して欲しい。

この世のどこにも行き場のない気がする。それでも探し歩き続けなければ生きていけない。酷だ。酔いや信仰や発狂が欲しい。対象は何でもいいんだけど、なかなか見つらない。恋愛でもいい。誰かのために死にたい。死ぬほど好きな人が出来ることはあるのか。まだ誰のためにも死ねない。俺は俺のせいで死にたいだけだ。

そもそも他者に依存することがこわい。自分の幸福ゲージを委ねて、一挙手一投足に一喜一憂して、最終的にボロ雑巾のようにされたらどうしたらいいんだ。死ぬしかないだろ。

死ぬのはよくない。この世のほとんどが死を想起させる。死は遠くにあるのがちょうどいい。喉元にカッターを突き立てられていたら、上手に呼吸が出来ない

こうもみっともなく惨めなのに、それでも存在し続けようとするのはどうして。期待することが止められない。死なない言い訳を探す毎日だ。

すべてになってほしい。誰かに。何かに。人生を捧げたい。発狂でも信仰でも酔いでも、呼び方は何でもいいから、はやくそうなれるように毎日を探す。あと少しな気がする。程遠い気もする。陽炎を追いかけてるのか、手を伸ばせば触れられるのか。わからない。

明日はきっといい日になるよ。いつまで経っても明日はこないけど、明日は明日になると思うしかない。いつまでも終わらない今日から目覚めよう。そのために毎秒をどうにかやり過ごす。明日はいい日なる。