まいにちたのしい日記

always たのしい

(2020/10/05 23:18:01)

雨が降るような音が遠くから聞こえた。
冷蔵庫から炭酸水を取り出しコップに注ぐ。ゆっくりと満ちていくグラスの向こう側に、景色が揺らいでみえた。その中に薄切りのレモンを落とすと、たくさんの気泡をまとって、炭酸の弾ける音が微かに聞こえる。


夏はわずかな残り香を漂わせ、溶けるように目の前から消えていった。冷房の必要ない気温になり、袖が指先までおおったころ、気付けば秋になっていた。


堕落を甘受しながら、丁寧な生活に思い馳せる。乱雑に散らばったアクセサリーを踏んで、ピアスの先端がぐにゃりと曲がり、薄く剥けた皮の下に脈を感じる。埃を被ったギターの弦は錆ていて、もうどんな音がしたのかさえ思い出すのは難しい。


夢は何度も形をかえて襲う。派手にパッケージされた飴玉に釣られ、まるで溶けかけの飴にくっつき身動きがとれなくなった蟻のように、夢の中を溺れる。
そのすぐ近くで、いつだって死が鈍く光っていた。憧れにも似た感情はときに僕を追い越して、それだけが世界でたったひとつの正しいことのように思わせた。


撫でるように滑らせた剃刀は日に日に錆び付いて、あのギターの弦のように役目を失っていく。死にそびれた僕たちは、行き場を失って宙ぶらりんのままで、それでも生きていくしかないことに、どこか安心してしまっていた。

 


原風景に思い馳せる。


静かな住宅地にぽつんと公園があって、そこで母と僕はブランコに乗っている。母は白い便箋を持っていて、しきりに封を開いては手紙を読む訳でもなく、どこか懐かしそうにぼんやりと眺めては丁寧に封筒に戻していた。
僕はそれをふしぎに思ったが、なぜかなにも聞いてはいけない気がして、ただ黙ってブランコに揺られている。母も僕も、口を開くことはなく、ただ静かに時間だけが、もぞもぞと僕の前を這っていた。


それがいつの記憶なのかはわからない。僕はとても幼く見えたし、母はとても若く思えた。あの便箋に何が書いてあったのか知らないし、その後どうしたのかも覚えてない。
ただ確実なのは、その数日後、父は家に二度と帰ってこなくなったことだけは覚えている。

 


失ったものを数えるような行為に日々を費やし、なにも残せないまま、決して何者にもなれなれずに死ぬことを理解したとき、本当は目の前に飴玉なんてないことがわかった。
母や父のことを思い出すと、彼らもまったく同じ苦悩を持っていたんじゃないかと思う。そして、彼らにとって自分自身が重荷なっていたことが、いたたまれない気持ちにさせた。


煙草に火をつける。透明だった息に煙が混ざり白くなる。この感情にも色が付いたらいいのに。可視化できるようになった気持ちは、一体何色なんだろう。なんだか白かったらいいな、と思った。